この諏訪原城の特徴は何といっても三日月掘りと馬出がセットになった丸馬出です。城自体が台地の崎にあり北、東、南が急な斜面で、残る西側の平坦地に大きな堀によって守られています。また、この堀とセットに防御だけでなく攻撃用に丸馬出が設けられており、三方堅固な城の唯一の弱点である西側を強化しています。
長野県下伊那郡松川町にある大島城、静岡県榛原郡吉田町にある小山城とともに、台地の崎に城を築き一方に戦闘部分を限定させる武田氏による築城の特徴をよく示した構造となっています。
この城は、天正元年(1573)に、武田勝頼が遠江侵攻の拠点として家臣の馬場美濃守信房(信春)に命じて牧之原台地に築かせたものです。
地図の等高線を参考にジオラマを作成しましたが、北、東、南が三方が急な崖で西側が台地となり、この台地を通って南に抜ける東海道ににらみを利かせています。
この、城は天正3年(1575)の武田勝頼の長篠の戦での大敗後、諏訪原城も徳川家康の攻撃を受けることとなり、1か月の攻防が繰り広げられたのち城主の今福浄閑斎が討ち死にし落城しました。
戦闘の詳細はわかりませんが、西側の堀と丸馬出がある西側で激しい戦闘が行われたことでしょう。
東側から見た諏訪原城。三方が急斜面となって攻めにくい地形。
北から見たところ。徳川時代に大手曲輪(中央のコの字の部分)や堀、丸馬出が増強されたと考えられている。
南から見たところ。中央あたりを東海道(白い線)が走っている。東海道を丸馬出や大手曲輪が近接している。
諏訪原城は、記念すべき築城第1号。2016年12月にお城見学に行き三日月掘や丸馬出、堀に魅せられてジオラマを作成することを決意。休みを利用して2か月程度で完成しました。
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