田中城
◆ところ 静岡県藤枝市
◆城主 由井美作守(今川氏)、山県昌景(武田氏)、依田信蕃(武田氏)、高力清長(徳川氏) など
◆参考資料 復元体系日本の城、日本城郭体系、歴史群像、田中城跡散策ガイドほか
静岡県藤枝市にある田中城は始め今川氏、その後に武田氏、徳川氏が支配することとなりました。
田中城は遠江国諏訪原城、高天神城、久能城、持船城などを結ぶ城郭ネットワークの一環として武田氏の駿河支配のための重要な位置を占め、徳川氏と武田氏の間で攻防が行われました。
天正7年(1579年)から依田信蕃が在番となり、よく徳川氏の攻撃をしのぎましたが、天正10年(1582年)2月織田、徳川、北条氏が連携して武田領国への進撃を開始し3月1日ついに田中城は開城しました。
田中城の特徴は、みてわかる通り本曲輪、二の曲輪、三の曲輪という三つの曲輪を同心円状に展開されており、その円を重ねた縄張りから注目されています。武田時代には亀の甲羅を想像させたのか亀城あるいは亀甲城とも呼ばれたと言います。
また、現在では平野に位置しているとみられる田中城も、戦国期には瀬戸川の下流に位置し湿地帯に囲まれた中の道路が交差する地形に築かれ、田中城は微高地にもかかわらず、湿地帯が天然の障壁となり敵が包囲することを容易に許さないお城であったようです。
武田氏により築かれたと言われる丸馬出しと三日月堀もこの城の大きな特徴です。
現在では小学校や住宅となり城は残っていませんが道路の形状は城の縄張りの名残を残しています。また、堀や土塁の一部は現在でも見ることができます。綺麗に縄張りが残っていれば名所となっていたことでしょう!残念ですね。
円状の曲輪が魅力的です。主に復元体系日本の城中の復元図や城郭絵図(小幡景憲允許状)などを参考に作成しました。
周辺の緑の濃いところは湿地帯がのつもりです。
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